小次郎の耳より情報集めました

競技内容は、カスタマーサービス/カスタマーサービスサポートの3種目で、接客サービスの応対と注文受け、およびパッキングの正確さ、チキンやサンド・サイドァイテムなどの調理における正確さが規定時間の中で競われます。
また、技術面だけではなく、筆記テストによるマニュアル知識の理解度も競技の対象となり、競技参加者は、知識と技術のバランスが要求されるのです。 競技は、1チーム5名(選手4名、コーチ1名)のチーム対抗で実施され、地区大会、全国大会へと駒を進め、優勝チームは日本代表として、海外で実施される世界大このチームチャレンジを通じて、Kでは、以下のような目的と、意義を掲げています。

日本Kのこの例からもわかるように、こうしたチームワークはとりもなおさず、相手を思いやる心、気持ち、つまりホスピタリティの環境、さらに十分なコミュニケーションがあって初めて成立するのです。 トレーニングによって正しいオペレーションを身につけ、店舗従業員に対してさらに上のレベルを目指す動機づけを行う。
店舗従業員のトレーニングに対する意欲と技術力を向上させ、店内のモラールアップを図る。 マニュアルに対する知識と意識を高め、店舗オペレーションの標準化を図る。
そして、それはまた次のようにもいえます。 お互いが協力し合うチームワークなくしては、ホスピタリティあふれる環境は生まれてこないと。
このように、ホスピタリティ、コミュニケーション、チームワークの3大要素は循環し、切っても切れない関係にあり、私たちサービス産業にとってはどれ一つをとっても欠けてはならないものなのです。 これまで、サービス産業に従事する一人ひとりの人間の意識の持ち方がいかに重要かについて述べてきましたが、こうした各個人の意識の持ち方について、私の体験の中から述べてみましょう。
あなたは、日々の仕事に従事する上で生きている人と死んでいる人の違いを知っていますか。 私は、これを次のように定義しています。
死んでいる人とは、単なる義務感で仕事をしている人、仕事をさせられてしまっている人です。 こういう人は上司や会社など周囲の顔色をうかがいながらしか仕事をしていないため、目はとろんとして精彩を欠き、声には張りがなく、姿勢もだらっとしてつまらなそうな顔をして仕事をこなしています。
ところが、今、あまりにも会社のため、お店のため、上司のためといった義務感で仕事をとらえてしまっている、言い換えれば仕事をさせられてしまっている人が多すぎるのではないでしょうか。 る人なのです。

一方、生きている人は目がキラキラと輝き、張りのある声が弾まんばかり、姿勢もシャキッとして、生き生きと楽しそうな表情で仕事をしています。 こうした生きている人は、一生懸命仕事をするのは義務感ではない、ましてやだれのためでもない、自分自身のために仕事をするのだということをきちんと理解していました。
こうした環境では、決して生き生きとしたサービスマン、ひいては生き生きとしたホテルやレストランは生まれてきません。 このように各個人の意識の持ち方の大前提となるのが、このだれのためでもない、自分自身のために一生懸命仕事をするのだという心構えなのです。
とはいうものの、仕事が忙しかったり、つらかったりすると、なかなかこうしたことを理解しにくいものです。 私自身にも、こんな体験があります。
今から30年ほど前、アメリカのP大学に留学した当初のことです。 毎週、クイズやテストがあり、各期末にはイグザミネーション(試験)もあり、気を抜く間がありません。
その上、留学したてはそんなに英語力もありませんから、授業に出席しても何を言っているのか全然わからず、聞き取るのが精いっぱい。 いつも授業が終わると必ず偏頭痛を起こし、寄宿舎に帰ってからもしばらくは治まらないほその上、当時は「将来の新しい産業となるホテル・レストラン経営学を勉強に来たんだ」とか、「これからの国際標準語となる英語を勉強に来たんだ」といった気負いでこちこちに固まっていました。
ところが、留学して3カ月目、だれのためでもない、自分との闘いのためにアメリカに来たんだということを知る機会を得たのです。 アメリカではサンクスギビングデー、いわゆる感謝祭の時期には全学生が一斉に休暇をとって旅行や帰省をします。
私は寄宿舎におりましたから、友人の何人かが心配して旅行や帰省に誘ってくれました。 アメリカの大学というのは、日本の大学と違い入学するのは簡単ですが、その授業内容は大変厳しいものです。
しかし、ここで一週間遊んでしまったら、今度こそ本当に授業についていけなくなると、ただ一人大学に残って勉強することに決めたのです。 休暇中の大学に、文字どおりたった一人でした。
わざわざ私一人のために、昼と夜、カフェテリアにコックさんが食事をつくりに来てくれましたが、図書館のカギを借りて一人で開け、一人で閉めて帰るのはさすがになんとも言えない寂しい気持ちでした。 夜、満天の星を眺めながら寄宿舎に戻るとき、涙がポロポロこぼれて仕方ありませんでした。
そのとき、つくづくここで負けたらおしまいになる、だれのためでもない、自分自身と闘うためにここに来たんだと悟ったのです。 もともと私は勉強をするのがあまり好きではありませんでした。

本を読むのも、どちらかというと苦手なほうでした。 しかし、この体験を経て、私は勉強する楽しさ、本を読む楽しさを知ることができたのです。
今振り返っても、これを機に大きく成長できたと思います。 もう一つ、これと並ぶ貴重な体験について述べましょう。
このように、私に学ぶ楽しさを教えてくれたP大学を卒業し、M氏のもとで下積みを始めて8カ月ほどたったころのことです。 M氏に呼ばれ、そのまま彼の車に乗せられ、着いたところはMというレストランでした。
「今日からここはお前のレストランだ。 お前の好きなようにやれ」まさに青天の騨震のようなM氏の言葉でした。
いくらポット・ウォッシャー、バーテンダー、ウエイター、コックと一とおりの業務を経験したとはいえ、大学を卒業したばかり。 このビジネスではまだまだ素人に毛が生えた程度です。
レストラン経営なんて、とんでもないことです。 しかし、私の胸の中には2つの思いが交錯しました。
一つは、これは絶好のチャンスだということ、そしてもう一つはどうせやるなら自分自身の目標として最高のレストランをつくりたいということでした。 当時の私の身分はトレーニー(研修生)でしたから、ちょうだいする給料もほんのわずかなものでした。
それにもかかわらず、なぜ、こんなにもつらい6か月を乗り切るというと、これはひとえに、この苦労はいつか必ず自分自身に返ってくるとい事実、この体験を通して私はレストラン・オペレーションに絶対的な自信を持つことができ、それは次のレストランでも生かされました。 Mが軌道に乗ると、今度はその4倍の売上げを誇るMというレストランの支配人に抜てきされたのです。
とはいうものの、そうした意気込みとは裏腹にあまりにも実力がありませんでしたから、このレストランでは大変苦しい思いをしました。 私の人生を振り返ってみても、一番つらく、苦しい時代だったといえるでしょう。


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